2006年7月15日
10年ぶりの木曽・伊那路へ
自分の人生のなかで岐路って何度かあると思う。
この伊那路はそんなIfがあったかもしれない場所だったんで
思い出としてブログに書いておこうと思います。
今はとても幸せですが、10年前もしここに来てたら
どんな人生を送ってたのか?
どの道をチョイスしても最上ってのは当てはまらないのが人生。
何かを得ても何かを捨てなければいけないのが人生・・・・。
と、いろいろあった時期だったのです。(迷える子羊ちゃんでした)
そのときは、福井県鯖江市に住んでいて、権兵衛峠を越えて飯田市に
時々行っていたものです。
福井市→大野市→白鳥町→高山市→開田村→木曽町→権兵衛峠→飯田市
という行程です。
妻のコンセンサスも得られていなかったので経費削減のため高速道なんか使えませんでした。
国道でまっすぐ東進できてコンスタントに90で走れるルートだったのでお気に入りでした。
あのころは若かったなぁ~
今だったら月曜日絶対死んでます。(笑)
福井から夜通し走って、あけぼのの頃権兵衛を向かえます。
時間的には走行車が少ない時間帯だったので比較的走行は楽でしたが
それでも対向車がきたら冷や冷やものだったし、秋なのに路面凍ってるしで大変な峠道でした。
今回、家族旅行で木曽路を選んだ一つの目的として権兵衛街道のトンネルを通る事。
思い出の酷道361号線(爆)
この国道、峠の頂上付近は林道で、国道としては開通しておらず
俗に言う「点線国道」だったのです。
権兵衛峠のトンネルが開通したおかげで、在りし日の峠越えが懐かしく思います。
このトンネルは非常に長く、非常に近代的で快適な道(トンネル)でした。
何時間もかかっていたのが、安全に30分で峠を越せてしまうなんて
とても素晴らしいことです。一番喜んでるのはやっぱり地域の人でしょうね。
特に木曽側。お買物も楽になるはずです。
酷道マニアの私にとって、またひとつ旧道がなくなったことに
寂しさが募る思いでいっぱいです。
●権兵衛街道の歴史
1峠の時代 1696年~1984年
木曽に住み引き馬を立てていた古畑権兵衛は、伊那から木曽へ米を最短で運ぶことを考え
幾多の難工事の末、中馬が通れる通商路を作りました。以来この道を権兵衛峠または米の道と
呼ぶようになり、伊那側より米・塩・干し柿、木曽側からは漆器・曲げ物などを
多く運んで通商していたそうです。
2山道の時代 1984年~2006年
権兵衛峠とは別に林道が整備され、車社会に対応した街道が開通しました。
しかし、交互通行できない・冬季閉鎖・つづら折りの峠道のため利便性が高いとは
言い切れませんでした。
3トンネルの時代 2006年~
木曽伊那連絡道路は構想から25年、工事着手から15年、幾多の難工事の末開通しました。
30分で両路が結ばれ、米の道から生活・産業・観光の道と生まれ変わりました。