火垂の墓

終戦記念日になると毎年、地上波でジブリの「火垂の墓」をやります。

「見るも涙」の映画で涙なしでは見ていられない作品です。


先日、ニュース番組で作品の舞台になった所が現存すると言うことを知り
訪れてみました。


野坂昭如原作 火垂の墓
幼い兄弟が戦争を必死の思いで生き抜こうとした物語です
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B-29が大編隊で空襲を行い、頭上には無数の焼夷弾が投下されてきます。
木造建築が主流の日本では火に弱く、あっという間に延焼・町は一面焼け野原と化します。

空襲警報を聞きつけ、先に避難した母。

節子をおんぶした清太は逃げ遅れ、炎から逃れるために川へと向かいます。

石屋川
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木造家屋は燃えてなくなりますが、唯一、御影公会堂だけが残ります。
映画では画面右側に公会堂があります

熱さから逃れるためでしょう、映画では河原に降ります。
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この地域独特の天井川。土手は急斜面で簡単に降りれるような斜面ではありません
現在はスロープが併設されています



空襲は過ぎ去りますが・・・・・・



全身大やけどで変わり果てた姿となった母との対面。
お母さんが運び込まれてきた小学校
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鉄棒のシーン
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戦火を逃れて、西宮の叔母の家に向かいますが・・・・・・・
清太は叔母の家を出て行くことを決めます。


近くの池に移り住んだのが、「ニテコ池」です。
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映画の取水塔?のイメージとまったく同じの物が!!

現在は池も整備されて、三段池となっています
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イメージとしては、この対岸に横穴があり、清太と節子がそこに移り住みました。


そして、節子はここで亡くなります。(涙)



映画では終戦後、対岸の別荘?邸宅に「いかにも大金持ちのお嬢様」が疎開から帰ってきます。
ちょうど対岸に
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豪邸がそびえ立っています。松下幸之助の元私邸、光雲荘だそうです。


清太は戦争孤児として懸命に生き延びようとしますが、三宮の駅で亡くなります。



私は戦争を知りません。

父が東京生まれの東京育ちです。
東京大空襲で焼け野原になった焦土東京を懸命に生き延びた経験があります。

焼け野原の復興。映像でしか知りませんがトタン屋根のバラック小屋生活。


いろいろとあったようで、父兄弟は田舎の親戚の家に一時期預けられて育ったようです。


今でもその当時の事は息子の私にでも語ろうとしません。


ただ、ここ最近、ポツポツと機会があれば、戦後を語るようになりました。


私も三児の父です(こんなんでも)

父親として「節子」を見るたびに 涙がこみ上げてきます。(泣けませんよ!父親としては)



家族では、広島や長崎などの戦争の「爪痕」が残る所には進んで見にいくようにしています。

平成の子供達には「まったく実感のわかない」世界のようですが。


ただ、心の片隅にでも、戦争の事を思い残しておいてくれればと願う想いがあります。
彼らも父親になればわかるかな・・・・・・

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