「見るも涙」の映画で涙なしでは見ていられない作品です。
先日、ニュース番組で作品の舞台になった所が現存すると言うことを知り
訪れてみました。
訪れてみました。
空襲警報を聞きつけ、先に避難した母。
節子をおんぶした清太は逃げ遅れ、炎から逃れるために川へと向かいます。
石屋川
木造家屋は燃えてなくなりますが、唯一、御影公会堂だけが残ります。
映画では画面右側に公会堂があります
木造家屋は燃えてなくなりますが、唯一、御影公会堂だけが残ります。
映画では画面右側に公会堂があります
空襲は過ぎ去りますが・・・・・・
全身大やけどで変わり果てた姿となった母との対面。
お母さんが運び込まれてきた小学校
お母さんが運び込まれてきた小学校
鉄棒のシーン
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戦火を逃れて、西宮の叔母の家に向かいますが・・・・・・・
清太は叔母の家を出て行くことを決めます。
清太は叔母の家を出て行くことを決めます。
近くの池に移り住んだのが、「ニテコ池」です。
映画の取水塔?のイメージとまったく同じの物が!!
映画の取水塔?のイメージとまったく同じの物が!!
現在は池も整備されて、三段池となっています
イメージとしては、この対岸に横穴があり、清太と節子がそこに移り住みました。
イメージとしては、この対岸に横穴があり、清太と節子がそこに移り住みました。
そして、節子はここで亡くなります。(涙)
清太は戦争孤児として懸命に生き延びようとしますが、三宮の駅で亡くなります。
私は戦争を知りません。
焼け野原の復興。映像でしか知りませんがトタン屋根のバラック小屋生活。
いろいろとあったようで、父兄弟は田舎の親戚の家に一時期預けられて育ったようです。
今でもその当時の事は息子の私にでも語ろうとしません。
ただ、ここ最近、ポツポツと機会があれば、戦後を語るようになりました。
私も三児の父です(こんなんでも)
父親として「節子」を見るたびに 涙がこみ上げてきます。(泣けませんよ!父親としては)
家族では、広島や長崎などの戦争の「爪痕」が残る所には進んで見にいくようにしています。
平成の子供達には「まったく実感のわかない」世界のようですが。
ただ、心の片隅にでも、戦争の事を思い残しておいてくれればと願う想いがあります。
彼らも父親になればわかるかな・・・・・・
彼らも父親になればわかるかな・・・・・・