訪問日 2007年12月31日
今でこそ蛇口をひねれば、当たり前のように水が出てくる時代でありますが
昔は生きていくために絶対必要な水を求めて、争いごとが絶えなかったという話は
全国各地何処にでもありました。
水を管理するという水利の概念を国策として積極的に取り入れた武田信玄などは有名で
今でも信玄が作ったといような旧跡や、村々の自警団から派生した管理組合などは
数百年経った今でも健在しているという話を聞くと、驚くばかりであります。
ここ智積養水(ちしゃくようすい)も心温まるような逸話の残る名水です。
中部地方は、幾重もの大河に恵まれて水は潤沢にあるように見えるものの
ひとたび自然が牙をむけば大洪水になってしまうなどの表裏一体の条件を兼ね備える
条件の場でもありました。
生きていくために必要な水資源を巡っては、川上の菰野町と川下の智積町とは
水を巡る争いが絶えなかったそうです。
川上の菰野町からわき出た清水を川下の智積町へ引水するための用水。
智積町の人々は、命を守り続けるライフラインとして、町の宝として定め大事にしてきたそうです。
「用水ではなく」
生きていくための命の水
「養水として」
町の人達は、養水を保存、維持管理に努め、後生に語り継ぐ、
保全活動が行われています
環境省HP 智積養水リンクです
https://water-pub.env.go.jp/water-pub/mizu-site/meisui/data/index.asp?info=50
グーグルマップリンクhttps://www.google.co.jp/maps/place/%E6%99%BA%E7%A9%8D%E9%A4%8A%E6%B0%B4/@35.0062182,136.5385062,18z/data=!4m5!3m4!1s0x600392e6b669cf25:0x4a3baeb0a552ed95!8m2!3d35.0062512!4d136.5392331