訪問日 2016年7月30日
私のおぼつかない撮影ではわかりにくいと思いますが
時は戦国時代
マムシと言われた斉籐道三が治めたこの国も
道三が認めた「うつけ者」に国を取られるまで
斉籐家が統治していました。
道三亡き後、
織田信長公が何度も攻め立てて美濃の国を奪取。
斉籐家滅亡後、「天下布武」の名の下に
この地を「岐阜」と改名いたしました。
私はその時代の話がとても好きなので
名水百選の選定地と訪れたはずなのに
どうも人とは見方が違ってしまうのですよね。
例えば
この城をどうやって落とせるか?
平地に突如としてそびえ立つ金華山
麓付近は切り立った断崖絶壁
目の前を流れる長良川は天然の掘りとなし
水かさが増せば軍団の渡渉も難しく軽装化するしかない。
雨で自軍の補給線を切られてしまうかもしれない。
籠城されれば
もちろん、水の手を断ちきるのも難しい
力攻めの愚策に溺れても
まずあの切り立った壁をよじ登るだけで
頭上から攻撃を受けて多数の死傷者を出す。
「さて、どうしたものか~???」
凡人以下のお馬鹿軍師、鯉の予感では到底思いつかない
天然の要害を兼ね備えた鉄壁の城であります。
ここは自称天才軍師「ういすべぇ様」に頼るか(誤爆)
・・・・・・・・・・orz
見るからに
「難攻不落の城」
あの信長公ですら落とすのに何年も時間がかかったのは
仕方が無いなって思いながら川辺に立ちました。
岐阜城を見るのはやはりこの方向から見るのが一番好きです
攻め手として見るか守り手として見るか
どちらにしても策が無数に浮かび上がってきそうな地形と様相です。
イマジネーションが広がります(*^ー゜)
いかん、いかん
名水百選の旅だった(ようやく目が覚める)
一番間近でこの角度で見たかったので、鵜飼いミュージアムに駐車
館内も見学させていただきました
当日は花火大会があるようで
こんな所まで場所取りのシートとガムテープで場所取りが
この先の橋の向こう側、テニスコートまで歩いて散策しましたが
花火大会の中心会場付近では朝早いのにも関わらず、
的屋さん達の出店準備が忙しく
トラックの路駐も含めて大混雑の状態でした。